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白日会静岡支部の沿革

 

白日会とは

 1923年(大正12年)欧遊の帰途にあった中沢弘光は、同船に乗り合わせた川島理一郎と出会いました。互いに話を深めるうち、混迷にあえぐ当時の日本洋画壇の将来に心をいため、ここに正当な美術研究団体を結成し、友人同志を誘って相互研鑽の場とする新団体の発足を誓い合いました。
 中沢弘光は、その時インド洋上で仰いだ白日に輝く太陽にちなみ新団体を「白日会」と命名し、1924年(大正13年)正式に結成されました。
 発足後は時局の影響を受け、また様々な紆余曲折を経た後、前会長の伊藤清永(文化勲章・1911〜2001)、小堀進、平松譲、彫刻の中村晋也(文化勲章)等を中心に、健全、自由な具象作家の集団という創設の意図を受け継ぎながら独自な時歩を築いてきました。
 そして現在は2002年(平成14年)に会長に選出された中山忠彦を中心に、先達の精神をさらに確かなものにしつつ、伝統的な技法や表現の尊重、対象への真摯な姿勢、新時代に向けた自己に根ざす誠実な取り組み等を、本会の結成以来一貫して標榜し続けてきた写実の一語に凝結し、日ごとその研鑽に励み、作家それぞれに新しい「写実」を追求し続けています。
 現在、白日会会長は中山忠彦(芸術院会員・日展理事)です。

 

静岡支部の沿革

 昭和15年1月に開催された第17回展後の会員総会の席上、白日会支部組織設置案が提出されました。その案の採用は、すでに数年前よりの案件であったばかりでなく、事実、地方における出品者は、その指導者会員を中心に支部組織的活動を開始していた経緯もあり、評議員決議として全国14支部の設置とその初代支部長名を発表しました。
 静岡支部は東京より静岡に転出した島田四朗会員をその任に推し、以降池田正司氏、八木昌一氏らが戦後の支部長を務め、東京から伊豆に移転した大石靖氏がその後を継ぎました。その後急増した支部員を河西賢太郎氏が継承統括して支部長の任につき、全国支部との連携と本部への協力参加の路線を確立しました。河西氏没後南城由起子氏に引き継がれた支部長は、平成22年、青島紀三雄氏に、令和元年に西谷之男氏に新支部長を委嘱し現在に至ります。
 現在、支部員は47名です。

 

写真は静岡支部草創期の作家たち(2010年静岡支部展会場にて)

 
 
 
 
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​白日会のホームページ
 
 
 
 
 
 
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